恵まれている。

時々ふと思いたって、このブログのアクセス数を見ます。
そして、皆さんどんなページを読んでるんだろか…?と見てみます。
そしてその中から、ふと選んだページを見てみます。
はて。このタイトルでどんなことを書いていたっけ?と思うことしばしば。
タイトルと内容が違うこともしばしば…ってタイトル付けに問題ですかふらふら

…そんなことはさておき。
皆さんの足跡から開いたページの言葉が、今の自分が必要とするメッセージであることが多いのです。
今日もそうでした。
開いたページは「カタチあるもの」「アーカイブ2007年1月」「アーカイブ2006年12月」「アーカイブ2007年7月」そして「進路」でした。
いや~。泣けた。

無意識に感じる心を鈍らせて、日々のことに対応しようとして、それにくたびれていることに気づけず、なんだかイライラや焦りや不安を募らせていたことに気づけました。
チャレンジしようと目指していた目標が、その制度ごと見直しということでなくなってしまったり。親の病気によって、経済的に負う部分が無期限になって先が見えなかったり。
家族はまず大事にしないと、と被災地の人たちの姿を見て行動したものの、結果被災地応援を延期したことに対し職業人として申し訳なく思っていたり。

その他もろもろの“ああ、油の海に落ちてしまった。もう飛べないよ”という心境で、いろんな役を任されていくのは、一つ一つにやりがいを感じないわけではないけれど、どんどん身動きが取れなくなって、息さえできなくなっていく感じがして。
もういつでも心が壊れていけるよ。いっそ壊れてしまおうか。
でも自分の人生をこわしたくないよ。
それらをあんまり感じないように過ごしていました。

久しぶりに“底”から泣きました。
そうだった、こんな思いがあったんだ~、もうきっついんだよ!いっぱいいっぱいなんだよ!
と泣いたら、スッキリしました。
別に何も解決したわけではないのですが。

前向きで楽天的で幸せに向かって歩いていこうとするもう一人の自分が顔を出します。
どの状況でも、一番きついのは自分ではないのです。
一番つらい状況にないのは幸運なことです。
つらい人の辛さを少しでも軽くするために、と考えられる心は失いたくないものです。

頼られるというのは、頼るよりも光栄なことです。
頼れる人もいます。でも今は頼らずとも、その人たちと過ごす時間で元気な自分が顔を出すので、まだまだ余力があります。ありがたいことです。
先行きに不安を覚えることがあっても、現時点では生活基盤があり、手に職もあります。
体も丈夫です。なんて恵まれているんでしょう。

見ているだけで、聞くだけで、いつでも元気になれる存在もあります。
ごらんのように弱い人間ですが、強くしなやかに変われる可能性はあります。
これらのことを忘れそうになったときに、思い出させてくれるこのブログがあります。
私は恵まれているなぁ。
ここにきて、読んでくれてどうもありがとう。
あなたの足跡が、私を助けてくれました。

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