義実家の片付けを通して終活(主に身辺整理)について考えたこと

今は夫の実家に住んでいます。2年前に義母が亡くなりました。ずっと前に義父は亡くなり、久しく義母一人で住んでいましたが、腰椎骨折で独居できなくなり、3年ほど前に夫婦で義実家に同居しました。同居して4ヶ月すぎた頃、体調を崩した義母はそのまま入院生活を半年送り癌で他界しました。

遺産のようなものが多少あったので、遺言書は作成され、定期的に見直されていたようです。お墓も檀家さんで、日々徳を積んでいたので大丈夫。遺影の写真も準備されていました。困ったのは手付かずの身辺整理。

夫には姉がいますが、ほぼ寝たきりで病院にいるので、動ける子どもは夫一人。姉の子(甥、姪)もいますが、それぞれ社会人になり疎遠になっています。夫は実家の片付けには「え〜めんどくさい」の一言。あ、ちなみに私は片付けは得意です。基本、必要のないものはあまり置いておきたくない。

まずは下着の処分

義母が亡くなって最初に手をつけたのは、彼女の下着の処分.80過ぎて尿もれも多くなり、生前から尿臭を気にしていました。もし夫の姉が健在だったら、娘に片付けてもらうのが一番心が楽だったでしょうが、まあ、仕方ない。それに結婚するときに看護職ということで、一気に信頼されて、泌尿器系の悩みをいつも聞いていたので、私も適任でしょう。他の誰かの目に留まる前に、すっきりさっぱり片付けました。

半世紀前の物もしまい込まれている

50近くの夫が生まれた頃に建った家。義母は倹約家で、ストック好きで、物持ちの良い人でした。

結果、和室の押し入れの奥深くを見ると、黄ばみとカビにまみれたマット・・・なんだこれ?夫に聞いたら、「あ、僕が小さい頃に寝てたマットだよ」と。昼寝布団?物置の奥には還暦近い夫の姉ようのお雛様、夫の5月人形、姪のお雛様+雛壇セット、サークルベッドなど年季の入ったものが沢山。そしていろんな空箱。重箱も複数。

食器も鍋も新旧もろもろ、白い手拭いもこれから一生かけても使えないほど。貰い物のタオルなども箱ごと山積みになっています。いろんなところに洗剤やティッシュの買い置きが置いてあります。包装紙の束や、布の端切れの束、毛糸の束など昔は裁縫の得意な義母の趣味のものも多くありました。

布団も何人家族だろうと思うくらい何組もありました。でも後半義母が布団を干している姿は見てないし、義母自身も1階に介護用品のレンタルベッドで寝ていたので、押し入れの中自体がもう湿気で重たく澱んだ空気でした。

ビスクドールや立派な五月人形、羽子板なども多く仕舞い込まれていました。

古いアルバムや写真も沢山。全て手付かず。整理した形跡はありませんでした。

「私が死んだら片付けてよ」

同居し始めた頃、台所の上の棚にどう考えても使っていない古い鍋や水筒などがあったので、「ここら辺のものは少し片付けましょうか?」と聞いたのです。でも義母は「いいわよ、そのままで。私が死んだら、全部捨てちゃっていいから」というのです。

まあ、家の持ち主がそういうのであれば仕方ない。そんなこんなで、収納は沢山あるのに、全てが埋まっているので、同居した私の荷物はほとんど入るスペースがなく、別に倉庫を借りて置いていました。(夫は自分の部屋があったので、そこを二人の寝室にしました。でも、そこの収納は夫のもので終わった😅)

でも、義母の肩を持てば、もう心身ともに片付ける時期を逸してしまっていたと思う。自分の体を動かすので精一杯、今何をやるか考えるので精一杯の状態だったから。

所詮、嫁の立場なので節度は守ります。

基本、金目のものは触りません。息子である夫に処分を一任。貴金属、着物とか、コートとか?

声をかけて「捨てていいよ」と言われたものを順番に捨てたり、市の大型ゴミの回収に出したり(←布団とか、マットとか、雛壇とか?)、供養に出したり(←人形たち)、引き取ってもらったり(←未使用のオムツとか、綺麗な衣類とか、色々?)、なるべく適材適所になるよう処分していきました。

思いのあるものは処分が辛い

夫は義母と仲が悪く、同居する前からも、同居してからもすぐに口論になっていました。というか、腰が悪く丸くなった小さい母に向かって怒鳴るんじゃないよ!とその場では義母の味方となり、後で夫を嗜めたりすることが多かったです。

でも義母が癌で余命が短い事がわかってから、なんとかできるだけのことをしようと動く夫がいました。それまでは「母親はいつまでも生きている。なんとなく目の上のたんこぶで生きてくれてる」という感覚だったのでしょうか。弱っていく母親を認めたくなくて「もっと動きなよ、もっとリハビリ頑張って!」と叱咤していたのかもしれません。

「僕だって、今はこうだけど、あの人(←義母のこと)が大好きだった時期があるんだよ」とポツンと言ったことがありました。なんだか聞いた私が泣けてしまうような言い方で。

写真についても夫に聞くと「いらない、全部捨てて」と見もしないでいうので、仕方ないな、と手をつけることに。本当に興味がないのか、見ることが辛いのか、半々なのかな?ちょっとわからない。

写真を選り分けていると、幼少期のものが「〇〇(←夫の名前)○才」「△△(←夫の姉の名前)○才」と丁寧に分けて写真フォルダーに入れられていました。職業柄、母親が子どもにどれだけ心を砕いて関わっているか見聞きしているので、その写真たちからも、母の思いが感じられて、とてもとても、私には処分できませんでした。

友人と旅行など、同じような写真が何枚もあるものは、えいやと処分したけれど。七五三、卒園式、入学式、成人式、結婚式・・・そんな節目のものはわたしが関わっていいところではない。

逆に本当に他人で(便利屋さんとか)、「金銭的なもの以外は全部捨てて」という要望通りに捨てられるのなら気が楽でしょう。でも、義母が折り合いが悪くても、夫のことを大事に思っていたり、夫も思うところがあることを知っていると、写真を見て泣けてしまって片付けが進みません。

なんとか家屋写真をよりわけ、それは捨てずに物置の一角に保管場所を作りました。家族である夫にきちんと見てもらってから処分してもらいたいので、彼の心がそれを見られるようになるまで待つことにしました。

和気あいあいの身辺整理

一方でうちの実家。母は義母の1つ下。父親が10年くらい前に亡くなった頃から、徐々に母自身の身の回りもコンパクトにしていました。私たちの雛人形、5月人形を供養に出し、こけしなども「地震が来て自分の頭に落ちてきたら大変」と片付けました。

写真も一度、成人した私たちが家を出た時に、それぞれのアルバムは渡されていました。そしてお正月や盆に集まったときに、両親の昔の写真を見て昔話をしながら、母は写真を片付けていきました。

傑作は母の結婚式の写真。文金高島田?のかつらをかぶっているのだけれど、それが頭のサイズに合ってなくて、本当にちょこんと乗っかっている感じの写真。いや、晴れ舞台なんだから、ちゃんとしてあげて!って感じ。母も自分で笑いながら見せてきて、私たち子どもらも大笑い。「いや〜これすごいわ。辛いことあってもこれ見たら笑えるよ。これ欲しい」と私はその写真をもらいました。いつか母が亡くなった後、悲しみながらもこの写真を見て、わたいあった時間を思い出して、笑い泣きすると思います。

身辺整理は家族のコミュニケーションのきっかけとなる

自分一人で進めるとなかなか進まない。残された人に任されても、なかなか進まない。「私が死んだら、好きに捨てていいよ」そう言われても、思い出の詰まったものほど、残された人は迷う。

身辺整理は単なる処分作業ではなくて、家族の歴史を振り返る時間でもある。できたら家族と時間を共有して、思い出にもうひと花咲かせて「ありがとう」と送り出したい。そう思うと心身ともに元気なうちから少しずつ始めるのがいいかもしれない。

私自身、たびたび引っ越しをしてその度に荷物を整理してきたので、物は少ない方だと思うが「いざという時の備え」的なものが結構ある。いつまで備えておくのか、それをどうするのか、考えどころの一つだ。

義実家の片付けを通して、残された人が困らないように、私も少しずつ身辺整理を進めていこうと思った。