書かないことにしました。
気持ち的に喪中なので。
暮れも押しせまって書けなかったからか?
…いえいえ、そうではありません。
秋に叔母が亡くなりました。母方の兄妹の中では一番若い方でした。
私は親戚とほとんど交流がなく、小さい頃から正月や何かに親戚中で集まる催しというのは大嫌いでした。
何を話してよいやら、どんな顔でいればよいのやら…。いとこ達とも到着してすぐには人見知りして話したりできなかったので、非常に辛い時間でした。何かを食べるときだけ何とかその場にいて、後は隙を見て2階の誰もいない部屋で持ってきた本を読んだり、池の魚を見に行ったり、人のいないところで帰る時間になるのを待っている子どもでした。
はたから見ても、けったいな子どもだったようで、私が看護師になったときは「どうなるかと思ったけど、立派になって」と、今は亡き祖母は言っていました。
看護師という仕事で人当たりの良さは見につけてきたので、いくらか親戚との集まりも2時間はできるようになりました。
「これから仕事で」「その日はあいにく出番で」という文句も使えますし。
私が海外へ行くというとき、親戚から寄せ書きと「頑張ってね」会を開いてもらいましたが、はっきり言って(何、この人たち…)と思っていました。
「すごいわねぇ、○○ちゃん!」
という、手のひらを返したようなその態度についていけず、オシリがむずがゆくなる時間を過ごしました。
ただ、同席していた母が嬉しそうだったので、笑顔で通した時間でした。
そんな私ですから、その叔母とも普通の人の叔母との関係よりも薄い関係だと思います。
それでも高校や短大、看護師に合格したときに祝い金とともに頂いた短い手紙を今も大事にとっています。
おばさんの中では、彼女が一番年若いこともあり、いとこ達と非常に仲がよく、彼女だけはいとこ達から「叔母さん」ではなく下の名前で呼ばれるような、明るく気さくな人でした。
私にもよく声をかけてくれていました。
最後に会ったのは今年の春。まだ彼女の病気があきらかになっていないとき。
「また海外に行きたいと思ってる?」
「そうですね。おもいますね」
「そう!いいわねぇ。頑張ってね」
短い会話でしたが、笑顔と明るい張りのある声を覚えています。
通夜・告別式とも遠方であり、平日であったので、両親のみの参列となりました。
私が別便で焼香に出向くということはないと思います。相手がビックリします。語り合う思い出もありません。他のいとこや、きょうだいのほうが叔母とも叔母の家族とも関わりがあるので、誰かとともにという機会でもない限り出向くことはないでしょう。
叔母なので、喪中にする関係ではないのでしょうが、心の中で喪中です。
好きだった…とまではいかない気持ちですが、嫌いではなかった。心遣いがありがたかったから。
もっと話をしてみたかったから。
いつか叔母に言ったように、海外に行きます。
一年に一回の年賀状だけのつながりの関係もあります。
一度はそんな関係なら断ち切ってしまっていいのでは?と思って年賀状を書くのをやめようと思った時期もあるし、実行しました。
でも、「もう出しません」とは伝えていなかったので、やはりその後も毎年来る人からは定期便が届きます。
一言添えた年賀状。そこから電話をしたり、会ったりという展開は少ない人たち。
人との関係には距離があります。毎日会う人、時々会う人、時々電話やメールで連絡をとるひと、そして一年に一度のやり取りの人。
でも、一度年賀状をやめたことで、一年に一度のやり取りもひとつの大事な人間関係である、と感じることができました。
…今回は「寒中見舞い」を定期便がわりに出したいと思います。



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