生まれる前の死2

このタイトルについては、「誕生死」という言葉もあるので、語弊を感じる方もいらしゃるかとも思いますが…とりあえずこのままで。今日は関わりの中で感じたことを書きたいのです。
2年ほど前に初めて胎内で亡くなった子のお産に立ち会いました。それからも何人か非常に残念ながら産声を上げないお産がありましたが、私が取り上げることはないまま過ぎてきました。
それでも入院期間の間の関わりはあり、夫婦と赤ちゃん、または親子と赤ちゃんの別れのための対面の光景を見てきました。


ほとんどが夫婦二人で、ないしは上のお子さんと夫婦で入院中を過ごすことが多く、他の肉親はそっと距離を置いて見守るという方がほとんどでした。
私もまずは赤ちゃんを取り巻く輪の一番中心の人だけでゆっくりと出会いと別れをして欲しい、と考えていたので、その光景を半ば当然のように受け止めていました。

少し前、もう一人、忘れられない赤ちゃんが生まれました。
夫婦にとって初めての子どもで、両者の家族にとっては初孫であり、お産直後から夫婦を両親やきょうだいが取り囲んでいました。
その状況は翌日も同じで。
赤ちゃんと面会をしながら「かわいそうになぁ。いたかったなぁ」「つらかったなぁ」と赤ちゃんに話しかけて涙ぐむ皆さん。

その無念さや悲しみは痛いほど感じるのですが、同時に私は気が気でありませんでした。お母さんは目を赤くして放心状態で、ベビーベッドの赤ちゃんを囲んで嘆く家族を見ていて「ごめんね。いたかったね」と時々呟いていて。
お母さんが自分自身を責めてしまうのではないかと。周りに対する申し訳なさでつぶれてしまわないかと。
赤ちゃんの気持ちが移っているのか、とにかくお母さんの心を守らなければ、とそればかり思っていました。

なんとか夫婦だけで体を休めたり、気持ちを吐き出したり、思い切り泣いたり、そういう環境を整えたい、と、それとなく家族の方に話をしても、やはり去りがたいのか広くない個室には駆けつけた家族が入れ替わり立ち代りやってきました。
まだ夫婦二人きりで赤ちゃんに面会をしていなくて、お母さんが抱っこもしていないと聞いて、すこし家族の人に退室していただきました。

お母さんがその子に対面し、抱っこしてみたい、と思うにはお産の後から少し時間がたってからになります。その気持ちが生まれた時には、気兼ねなく気持ちが出せる状況を提供したい。最初はどのような感情が出てくるのか心配なので3人を見守っていましたが、抱っこしたお母さんはお父さんと一緒に柔らかい表情で赤ちゃんに声をかけていました。その中で引っかかったのは「ああ、お風呂に入れてあげたかった…」。

「…入れられますよ。お手伝いしますから、お母さん入れてあげましょうか?」
赤ちゃんの体は非常に皮膚がもろくなっているので、普通に裸で湯船に入れて洗うことはできませんが、布で体を包み、ぬるま湯で顔や髪の毛、きれいな手足をやさしく拭ってもらうことを提案しました。
個室に沐浴槽を運びました。夫婦二人で入れるつもりで私はいたのですが、沐浴ができるようだ、と聞いた家族が部屋にやってきました。
夫婦に意向を確認し、部屋に入っていただきました。

お父さんが赤ちゃんの体を湯の中で支え、お母さんがガーゼで体を拭いていきます。
そして、「みんなにもやってもらいたい」とお母さんからあり、家族の方も赤ちゃんに声をかけながらガーゼで体をふき、次の人へ…と順繰りに体を拭いていきました。
静かにおごそかに行われていき、まるで献花の儀式のようでした。家族にとっては儀式だったのかも知れません。
沐浴を終え、着替えた赤ちゃんを再び連れていくと、家族の雰囲気がすこし変わっていました。
「帰るからね。ゆっくり休んでね」と帰っていきました。

なにもできないまま、いとしい者を失うことはつらいという言葉では足りない苦しさがあります。
いつもお母さんを中心に考えていましたが、もちろん周りの家族もつらく、その思いをどうにもできず抱えることも多いのでしょう。いままで病棟で見かけることのなかった夫婦を取り囲む家族は、どのように赤ちゃんとの別れに向き合ったのでしょうか。その向き合い方によっては、まわりまわってお母さんを傷つけてしまう言葉や態度となって表出されるかもしれません。

家族にも亡くなった子と向き合い、別れを言える機会があることの大切さを感じました。
夫婦は家族とのつながりが強く、家族とともに悲しみを共有できたことが救いになったようです。
お母さん一人でだれにも気兼ねなく気持ちを話せる環境、母子だけの環境、親子3人の環境、家族に囲まれての環境、みな必要でした。
お父さんにも一人で気兼ねなく気持ちを話せる環境が必要でした。夫婦でいれば妻を支えることで自分の気持ちは二の次になってしまいます。そして気持ちが混乱したままに職場に行き、入院したことを知っていて聞いてくる人に、どのように伝えたらいいかと悩みます。仕事もしないといけません。
とても辛い立場だと思います。
そうは言ってもなかなか入院中にお父さんの心情をゆっくり聞ける機会はなかなか作れず、自助グループのアドレスをお伝えするのが精一杯でした。

最初、夫婦は抱っこすることすら躊躇していました。けれど、面会していく中で、抱っこをし、沐浴をし、手形や足型など子どもが存在していたという目に見える証を希望していきました。
退院間近の頃には、いらない、と言っていた髪の毛や赤ちゃんとともに映った写真も希望するようになっていきました。笑顔でいい親子の写真が撮れました。

「お二人の名前は忘れてしまうかもしれませんが、お二人の顔もこの子の顔も覚えていますよ」と伝えたら、二人ともいい笑顔を返してくれました。これは嘘ではなく、今までの赤ちゃんたちの顔も記憶の中にあります。なんだか忘れられないのです。

赤ちゃんのために作ったぬいぐるみのことや洋服のこと、どんなに楽しみにしていたのか、話してくれました。一方で「本当だったら今日は同じ産み月の人でお茶をする約束だったんです…」と泣き、仲良くなった人と縁を切りたくはないけれど、今はどうにも連絡は取れないとつらい気持ちを話してくれました。

退院後にさらされる「かわいそうに」という目が嫌だ、と、妊娠していたことを知っている近所の人に会わなければならないと思うと、ゴミ出しに行くことすら怖い、と。
放心状態から徐々に現状を受け止めていくと、そこには乗り越えていかなければならない壁があります。
彼女たちの気持ちや状況はなかなか知られることはありません。だから、ここで少しお伝えしたかったのです。

同じ産科でも産院によっては面会ができなかったり、足型などの記録物を渡すことをしないところもあるようです。
最初は「いらない」と言っていても、のちに気持ちが変わったり、数年後に後悔することがあります。
同じ医療者として心境の変化に寄り添ってほしいと思います。もちろん、私もまだまだこれからなので、何ができるのか考えていきます。

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