昨夜、救急外来に生後間もないベビーが母親に抱かれてきました。
毛布にくるまれたその体は小さくて、土気色で、冷たく、呼吸も弱く、目は虚ろでした。
母子家庭で父である人にも内緒で、家で一人で生んだそうです。親も親せきも妊娠については知らず…。母親は妊娠中も、産後もずっと働いており、パートから戻るとベビーの様子がおかしく、様子を見ているうちにどんどん悪くなって駆け込んだようです。
状態は思わしくなく、NICUのある病院に搬送されました。
処置中は母親への怒りというか、ベビーへの憐憫というか。
パートに出る数時間、一人でいるベビーの状況にやるせなく、へこんだお腹や張りのない肌、注射をされても泣くどころか体を動かす元気もない様子に、「生んだなら、責任持てよ」と腹を立てていました。
けれども。
処置も落ち着いてくると、母親のことも気になって。
誰も知らない、誰にも言えない子。
外来に来るまでの間、もしかしたら“このまま…”という暗い願望を抱く一瞬があったかもしれません。
それでも結果的に駆け込んだのは子どもに対する想いがあるのでしょう。
妊娠中も家計のため働き、妊娠の相談も誰にもできず、妊婦検診も受けていないだろうし、産んだ後の生活やこの子の届など、肉体的・精神的・社会的な不安は非常にあったと思います。
そういう状況になる前に、どこかで別の方法はとれなかったのか、とも思うけれど、誰でも好き好んで追いつめられる状況を選ぶわけではありません。
どんな状況であろうと、そんな“大人の都合”で小さな命を、生まれてこれた命を死の淵に追い詰めていいわけはありませんが。
それでも、目を赤くして呆然としている母親を見ると、もっと早い段階でどうにかならなかったのか、と悔やまれます。
この先もどうなるのか。考えると問題が山積みです。
こんなことは誰にも話せない、相談できない。
そう抱え込んでしまうことがあります。
そうして、状況が一人で何とかなるレベルではなくなっても、その考えに固執して動けなくなります。
でも、恥も外聞もなく、勇気を出して声を出さなきゃいけない時があります。
状況を変える術があったとしても、本人が声を上げなければ何も始まらないことがほとんどです。
汚名は返上できます。
壊れたり、失うものの中には、二度と取り戻せなくて、過去の自分を責め続ける結果になることもあります。
外来にきた母親も、問診や診察など医療者とのやり取りの中で責めを受けていたのではないかと思います。
もちろん、こちらは意図して責めるような言動・行動はしませんが、事実を聞かれることで、それを話すことで、目の前の結果の原因が浮き彫りにされるのは、何よりの責めだと思います。
これから先も秘密にしていたことを明らかにする過程で、苦しいだろうと思います。
一方では抱え込んだものから解放される安堵もあるかもしれません。
母親の状況が好転するよう祈ります。何よりもベビーのために。
がんばって踏みとどまってほしいです。名前もなく死んでしまうのは…もう、本当に、私が悔しくて仕方ない。人ごとながら、胸が痛くて仕方ない。
今もどこかで、家で一人で衰弱しているこどもがいるのかもしれません。
こどもを宿している人、こどもを生んだ人、
途方に暮れていたり、困っていたら、誰かにはなしてほしい。
一人ひとりがそれぞれの生活をしている中で、黙っている苦境に気づいて手を差し伸べられる人はそうそういません。
でも、苦境を聞いて、全力で、もしくはできる範囲で相談に乗ってくれる人はどこかにいます。
ひとりで抱えるよりも、言えて楽になった分、堂々巡りから一歩抜け出せるかもしれません。
追記:
旅立ってしまったそうです…。
泣くこともできなかったこの子のために、しばし、おばちゃんに泣かせてください。



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