隠したい心理

ブログには私の心のうちがほぼそのまま出ています。
ブログの私を知る人には、社会で生活している私は知られたくない。
社会で生活している私を知っている人には、ブログの私を知られたくない。
そんな心の動きがあります。
そんな表も裏も知られてしまったら、私はどんな顔でその人の前に出て行ったらいいのでしょう。

ここにはドロドロした部分もでます。
外の私は、どちらかというとそのドロドロをなんとか、乗り越えた部分か、出す場面ではないとオブラートに包んでいます。
私はどちらかというと、悲劇のヒロインになりやすいタイプなので、心の葛藤を知る人には、ちょっと実際以上に哀れさを表現してしまう傾向があります。

・・・そうするとね、前向きな、元気な明るい心の部分が出しにくくなってしまって、逆に自分を追い詰める結果となるんですね。
根本的には楽観的なのに、そのひとに「どうなった?あの件」とか聞かれたら、ドドド・・・とネガティブな私の部分が幅を効かせて出てきます。
社会生活している私(家族、友人、同僚などの前に表す私)は一見悩み事のなさそうな人物です。
よく「悩み事ないでしょ」「毎日楽しそうね~」といわれます。
無理にそう取り繕っているわけではなく、自然な明るい部分の私が出せます。
周りが私の抱える闇(悩みとか問題とか)を知らないからこそ、そこからしばし区切られ、備わっている明るい自分が出せ、それによって心が元気になります。

まぁ、オブラートに包んで、傷を隠している場合はその傷に触れそうなことはサラリと流してしまうので、「あっさりした人、さばさばした人」とも言われます。
悩むのは、考えるのは、泣くのは、独りのときに。
元気を生んだ私の心は、自力で克服していけます。
時間はかかることもありますが・・・。

ちょっと前、春くらい、その区別がどうにもできなくなってしまい、職場でもちょっとのストレスでボロボロ・・・と涙が出てしまい、皆をあわてさせました。
「どした、食べ過ぎた?」
・・・ってどういうことさ。
でもありがとう。
気にかけられる、心配されるというのは心地よい。
それによって自分に注目が行くから。
そんな欲求に時折、フラフラと負けてしまいそうです。

これは私の中の小さい子が抱えている傷。
もっと愛されている、目をかけられている実感が欲しい、と。
でもそれは傷を治すことにはならないのでしょう。
人は、内に秘めるものがあるから、それをバネに更なる高みにいけるのだと思うのです。

でもね、ガス抜きしたくてここに書いてます。
ん~、ありがたい。
読まれても、読まれなくても、へんなハリが取れて、どこかが楽になります。
いつかはね、愚痴を言うのも楽しめる、そんな人になりたい。

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