『私だって自分を見つめれば、ドロドロした部分、ずるい部分があります。
その一方で、愛とか正義みたいなものもあって、
それらが自分の中の悪と闘って、結果、ようやく「よくあろう」「潔くあろう」「無欲であろう」といった気持ちを得るんですね。葛藤を経ただけに、獲得した思いに深みも価値もあるわけで、だから善と悪両方があるのだと思うのです。』
by 高木 美保
高木さん、再び。
私もしょっちゅう、ドロドロしているかもしれません。
たびたびズルさと闘っています。
だから、純粋な言葉に感銘し、葛藤を経て得た言葉に感銘し、葛藤なく悪に染まった言葉に嫌悪を抱くのでしょう。
自分がどんなであるか、それはなかなかわからない。
わからないのに、周りに流されてしまっていたら、よけいわからなくなっちゃう。
川の流れに沿って歩いていくと、その勢いに圧されて足取りがわからなくなってしまう。
流れに逆らうように歩くと、自分の一歩一歩が見えてくる。足にぶつかって分かれる水から自分の存在がみえてくる。
善と悪の狭間で葛藤することで、自分がどんな人間であるのか、つかめてくるように思います。



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