voice

『私の声、私の話し方、私の語彙、私の言葉遣いは、私が誰であるかを表現する重要な手段だったのだ。
私の性格、私の受けた教育、私の成長度、私の知性、私の想像力、私の意志、私の機知を表す手段だったのだ。』
by 千葉敦子 著書『死の準備日記』より

この人はフリー・ジャーナリストで、1987年に癌で亡くなりました。初発は乳癌で、他に『よく死ぬことはよく生きることだ』『ニューヨークの24時間』などの著書があります。彼女はアメリカで生活していたので、日本とアメリカの医療の違いにも、多く触れられています。書かれてから年数は経っていますが、現在でも考えさせられる部分が数多くあります。

この言葉は喉に転移した癌によって、声を失ったとき、日常に不便を来たすだけではない、と彼女にとっての声の意味をあらわしたものです。
彼女の手記には前向きに、現実的に、論理的に、癌治療をしながら自分の生き方を追求していく姿が記されています。

見出しを見ても、「人生に求めたものはすべて得た」「感傷に浸っているひまはない」「仕事も、闘病も、楽しみも」「善意の洪水には辟易する」「ともかく6ヶ月生きた」というように、センチメンタルなものが一切ありません。

何があっても1時間は呆然とするかも知れないが、そこからは現実を受け止め、情報を集め、何をするべきか考える。
彼女の言葉はつよい。
読み手の中に甘えがあったなら、そこに真っ直ぐに突き刺さり、揺さぶる強さがあります。
そこで引いてしまうか、ひきつけられるか。

彼女の著書を通じて、彼女の考え方、生き方を知ったことは私にとって大きな収穫です。
私が目指したい要素が数多く含まれています。
こういう人がいたのです。
もっと、いろんな人に知ってほしい。
そして、声が出る私は、自分を表す手段として『声』を充分に活用しているのだろうか?私の声には何が備わり、相手にどのような私として受け止められているのか。
そして、私はどのような私を発信したいのか。

声が出る私は、このことに感謝して自分に問いたい。
将来、声を失うことがあった時、活用しなかったことを悔いるのではなく、彼女のように弔うために。

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