大往生

ご本人がそう納得されているかは知る術もありませんが。
先週、祖父が百余歳でなくなりました。
最後の数週間は見当識障害も現れ、若者だった頃の記憶のもとに行動したりしていたようですが、その後徐々に食欲がなくなり、横になっている時間が長くなり、最期は眠るようにというか、眠っているうちに亡くなったようでした。

私の記憶に残っているのは80を過ぎたくらいからの姿ですが、2階のベランダで毎日ラジオ体操をしたり、耳が遠くなっても“プポォ~”と尺八を楽しんでいたり、一緒に住んでいた長男のお嫁さんの手ほどきで老眼なのに達者な字で写経をしていたり・・・と元気な人でした。
笑顔がとても柔和で明るいおじいちゃんでした。
私の手元に残っている形見は二つ。
一つは私がボランティアに行った時に、一ヶ月分の写経をくれました。・・・お守り代わりだったのでしょうか?
真意は定かではないのですが、その半紙の感触、墨の匂い、漢字の持つしんの強いしなやかさは、海外で文化の違いに疲れたときに私の心を癒してくれました。
二つ目は祖父の九十九歳、白寿の会が催されたとき、参加者の親戚各家庭に直筆の短歌が書かれた短冊が配られました。
それはなんだかしまうのには長すぎて、なんとなく本棚の上に後厄の厄除け祈願の札一式とともに飾られていました。
はや数年が経っていたのね・・・と祖父の享年を聞いたとき驚きました。

葬式では僧侶が非常に綺麗な袈裟をお召しになっていました。
故人が百歳を越えて、非常に長寿だったので・・・と言われており、めったにお召しになることはない貴重なものだったようで、
へ~~、私も長生きしてみようかしら。・・・いや、死んだときの希望は地味に家族葬だったわ。・・・いや、家族だけでも僧侶は来るだろ。そうだ、やっぱり長生きを目指すか。
などと感心してました。

弔辞も親友によって送られ、家族に送られ、あの世では愛妻と半年早く逝った末の愛娘が待っています。
悲しいけれど穏やかな葬祭でした。
悲しみの深さは故人と交わした記憶、関する記憶の多少と関係するのでしょうか。
通夜に駆けつけた私は、祖父の死に涙する前に、久しぶりに会う親戚に、そして儀式の作法に緊張していました。

悲しさがこみ上げて涙したのは、告別式の弔辞のとき。弔辞には通り一遍の言葉ではなく、仕事と趣味を通じた彼と祖父との交流が話され、それが呼び水となって、上に書いたような生前の祖父の姿が呼び起こされました。
それまで瑣末なことに敏感になって、実感のわかなかった“祖父の死”に感情が追いつきました。
それでも、“あれができたのに、これもしたかったのに”という思いが生まれるほどの関わりの深い関係ではなく、会いに訪ねることもめったにしない、疎遠なおじいちゃん思いではない孫だったので、祖父の記憶は優しいけれど、温かいけれど、心の表層にあるものだったりします。
同じく涙していたいとこ達とも、同じ泣くにしてもその悲しみの深さは違うのではないかと、申し訳ない気持ちも生まれていました。
大往生と言うけれど、私の言うその言葉の重みと、ずっと祖父と過ごされてきた伯母・伯父夫妻の言う重みには雲泥の差があるのでしょう。
それでも、彼らから大往生と表現された祖父は、大往生とみられるいい生き方をしたのだなぁと思います。

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