ひとつ屋根の下で

『家族がひとつ屋根の下で
食事できる回数は 案外少ないよ。』
by 山谷えり子さんの父御

自分が家族と一緒に住んでいるとき、このことについて考えたことはなかったように思います。
でも、たしかに、案外少ないのです。
食事をする機会がなくなってはじめて、その時が懐かしくなります。

私は日曜6時の「ちびまるこちゃん」が今でも好きです。
でも、その「好き」の中に、日曜日の家族団らんの記憶が含まれていることに最近気づきました。
ごはん前なのに、父親とかりんとうを食べていて母に怒られたり。
ごはんの準備を手伝って、と母に言われてきょうだいでその役をなすりつけ合って、しまいにはケンカになって、やっぱり母に怒られたり。

「サザエさん」も見たいといつも思っているのに、「サザエさん」は“ずっと年が変わらないから嫌い”という母の一言でいつも見られなかったり。
“まるちゃんだって同じじゃん”と子ども心に思っていたけど、それを言って見られなくなったら損だな~と腹黒く思っていたり。

・・・などなど、これらの記憶は非常に他愛ないものなのですが、個食の多い今となっては懐かしくて、愛おしいものです。
成人してしまうと、家に帰っても家族全員がそろう機会はとても少ないのです。帰ってもきょうだいに会わずじまいで半年経過・・・とかありますもん。

病棟でのお昼や夜食が第2の家族の食事となりつつあります。
20代後半のお子さんを持つベテランのスタッフも多いので、休憩室で豆や芋を煮たり(そして鍋がこげたり・・・焦がすなっ(笑))、パンを焼いて持ってきたり、山盛サラダが即席でできたりします。
それを皆でワイワイ話しながら食べる時間は楽しい。もちろんそんな時ばかりではなく、お産係で食事を5分でかき込んで産婦さんのところに戻る場合もあるのですが、休憩室から出発するときには背中に大きな声援がかかります(笑)

楽しく食事をする。それは心の糧でもあります。
言葉にならない、言葉にできないモヤモヤを抱えていても、なんだか元気が湧いて来ます。
外に出かけていろんなことにチャレンジしてみる中で、うまくいって嬉しかったり自信をつけたり、うまくいかなくてへこんだり、理不尽なことに傷ついたり泣かされたり、憤ったり・・・さまざまな思いで家に帰ってきます。
それを言えたり、言えなかったりするけど、皆でごはんを食べて過ごしていると、ほっとします。

その“ほっと”のレベルはその時々で違います。
“とっても”
“とりあえず”
“なんとなく”
でも、その“ほっと”が心には必要なんだと思います。帰る場所があるよ、羽を休める場所があるよ、逃げ帰っても許される場所があるよ、またそこからはじめたらいいんだよ、という安心感。

成長するにつれて安心感を得られる場所を他に見つけることもありますが、大抵の人は成人するまでその場所を家族団らんに見出す場合が多いと思います。
でもその回数は予想以上に少ないのです。
世のお父さん、お母さんはそのことに気づいて欲しいものです。
そうしてそれぞれの過ごし方を見つけて欲しいものです。
そうして自分達夫婦の、巣立っていく子どもたちの、心の糧になる場になっていったら素敵ですね。

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