人はなぜ美しいということがわかるのか?

謎なのです。
これと似たようなタイトルの本を図書館で見つけ、「ここに解答があるのでは?」と心踊る一瞬がありましたが、内容がちょっと違っていました。
みんな、“美”というものをどうやって認識しているのでしょうか?
みんなが同じ認識を持っているのでしょうか?
というのも、私はたいていの人が「きれい」「美人」「かわいい」という人のその“美”に気づかないのです。

普通に接しており、周りの声を聞いて初めて、「ああ、この子の顔は“美人”さんなのね」と思うことがしばしばあります。
なんでこの子はちょっと挙動不審なんだろう…と不思議に思っていたら、「あの子すごい可愛いねぇ」と周りが言っており、ああ、それのテレなのか、受けなのかわからないけど、そのせいもあるのか…と遅れながら納得したり。
「今度の新人は一人はとびきりかわいいねぇ」
そういう発言もどうかと思いつつ、やってくる2人を見ても(え~と。どっちもふつうに可愛らしい感じですけど、どっちが“とびきり”なのかな?こっちかな?)ともう一人のほうを選んでいたり。

そうかそうか、まず美人の要素は「二重」なのだね。とインプットしていたら、「こういう一重の美人にあこがれる~」と言われる人発見。みんながきれいというので、フムフム…と暇のあるごとに観察してもよくわからない。
芸能人も、「テレビに出る人は奇麗なほうの人なんでしょう」という認識のもとに見ていますが、みずから「おお、きれいだなぁ」と思う人は周りが思うよりも少ないです。

一例をあげると、私にはブラビの美しさがわかりません。あ、肉体美はわかります。
あと、キムタクのカッコよさもよくわからない。
ファンとしてどうかとも思うけど、ハヤシさんの美しさというのもわからない。楽しそうに演っている姿はかっこいいなぁとか、かわいらしいなぁ、と思いますが、昔背中に龍を背負ったり、マーメイド風になっていましたけど、世のファンの目がハートになる中、「…で?」と一人その感覚を共有できない孤独感を感じていました。
ちゃんと皆さんと同じように「おお、かっこいいね」と思う人もいるけれど、わかる人とわからない人のその差もわからない。

…なんだか欠けているよなぁ、自分。と常々思っていました。だから困るのよ、「誰々ちゃんは何々ね」という容姿がらみの話題が。わからんもん、そんなこと。
はっきりいって、自分の顔が世間的にどのレベルかもわからない。…なので、ひがみもせず、天狗にもならず生きています。幸せなことなのかもしれません。
でもね、たぶん“そこそこ”なんだと思いますよ。

以前若者二人が道行く女性に点数をつけて遊んでいる場面に遭遇しまして、そばを通ったら「おれ、75点」「おれは80点」って言われました。まぁ、嬉しい、と喜んでもいい点数?全体の雰囲気だろうから顔がどうなのかはわかりませんけど。

以前道を通っていたら、前から来た自転車の青年に
「ブスッ!」
と言われ、(おお、私はブスだったのか…)と非常に落ち込んだことがありました。これは某ビフォー・アフター系の番組に出演する女性たちの証言のような状況ではないかと。
整形か…でもどこを直したらいいのかわからんぞ。と半ば真剣に考えていたら、自転車青年が身内だったと判明。
「この前見かけて声掛けたのに、気付かなかったでしょ」
「はい?」
「おっす!って」
「え~!!!わたしさぁ、見も知らぬ人に「ブス!」って言われたと思って、そりゃあショックでショックで…」
「うははは…!!」
という顛末。
一応、それ以外にはないので、見知らぬ人に暴言をぶつけられる感じではないようです。

それでも年々学習したようで、大分「この顔は可愛いんでしょ?そうでしょ?」とわかるようになってきました。頭の中で分析ですよ。
でも、きっと“美”というのは一瞬のひらめきのような感動だと思うので、それはわかってないのかなあ、と。

きっと感覚から来て頭で理解する、という順序が“美”の認識順序なのではと思うのです。
たとえば、「はまりの道 大海原編」のようなhideの魅力に気付いた時の感覚のような。
う~ん、それでもくっきりはっきりわからない。
人はなぜ美しいということがわかるのでしょう。
美しさ、とは脳の何が刺激されて感じるのでしょう。
不思議だなぁ。

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