考えてみると9年くらい経つでしょうか。
その頃に家族からとても苦しい心の傷を受けました。
といっても、家族には私に対する悪意は全くなく、ただその人たち自身も精神的に苦しくて口を付いた言葉が、私の心を傷つけたのです。
ちょっとショックだったくらいで、少し泣けば治っていくかと最初思っていたその傷は、じわじわと心を侵食し、過去に築いてきた家族に対する基本的な信頼感さえ粉々にして、私は根っこがなくなってしまいました。
心がひび割れて渇ききって、周りからの優しい気持ちで一瞬うるおっても、すぐに渇いてしまい、苦しくて苦しくて、このような日々が続くのなら、生きるとはなんて辛いのだろうか、と思う時期がありました。
人は家族のことについて普段の会話で何気なく聞いてきます。その一つ一つに当たり障りのない答えを言うたびに、苦しい感情が出てこようとするのを必死で押さえ込んでいました。
その感情が出てきたところで、どう伝えればいいのか、その術がわかりませんでした。
その感情を言葉にどう表現したらいいのか、どこから話していいものか、この家族の苦しみは長く、私の葛藤も長く、一体どこから話せば伝えられるのでしょうか。
伝えるすべのない苦しい感情は、ただ号泣になり私は文字通り吠えるように泣くだけです。
苦しい感情に潰されないように、ただその場を乗り切るために出すだけです。
それは、吐き出された相手は困ってしまうことでしょう。
お風呂場でいつも人に伝える練習をしていました。
カウンセリングに行くにしても、何をどう話したらいいんだろう、と思い、口から出るがままに湯船に浸かりながら話していました。
今の気持ちを、傷を受けた時の気持ちを、怒りを、悲しみを、切なさを、それでも憎みきれなくて、相手の辛さも分かって、でも自分は苦しくて、誰かに話すことで家族が悪く言われることも嫌で、家族の苦しさも分かって欲しくて、でも、この心の苦しさは誰にいえばいいのか。
看護師の自分なら冷静に分析できるのに、娘の自分は心が耐えられないのです。
・・・そんなことをしていたら、あら不思議。それ自身がセルフカウンセリングになっていたのでしょうか。
お風呂でむせび泣きながら話すことも、徐々に間があいてきました。
ここで時々書かせてもらったりしました。
ここでは書けない赤裸々な気持ちを別のところに書いていました。
職場の温かい雰囲気と、関わる人からもらうプラスの気持ちが、私の中のプラスの気持ちをいつも引き出して育ててくれました。
涙も心のひび割れに効いたのか、徐々に私の心の渇きが癒されていくのを感じるようになりました。
それでも、折々にこみ上げてくる感情があって、むせび泣くことがありました。
まるでカサブタが剥がれては血が出るように。時には膿んでしまうように。
そしてそのうち、むせび泣くこともなくなってきました。
時々傷を受けたときのことを思い出しては、そうだ、こういうことを言われたんだ、と思い返したりして。
まるで、傷を受けて苦しんだ過去の自分に、苦しんだあなたを忘れていないよ、と義理立てするみたいに。まるで、薄くなった傷跡を確認して、わずかにひきつる痛みを確認するみたいに。
そして今はもう、心の傷はないのです。
傷を受けてから2~3年の頃に書いた独白は今読んでも胸が痛くなります。
そのあとも数々の葛藤があったのも覚えています。
でも、受けた記憶は残っているけど、どこに受けたのか、もう跡すら見つけられないのです。
手放したくても手放せない、一生抱えていくのかと思っていた感情は、手放そうと思ううちはうまく手放せなくて、でもいつのまにか手放していました。
こうやって人は、心の傷も癒していくのかと思いました。
時間はかかるけれど、心の傷が治る時は来ます。
その時には、そこに至るまでに歩んできた事柄が全て糧となって、心はさらにしなやかに強くなっています。
もしもあなたが心の傷に苦しんでいるのなら・・・、あなたがその感情を手放せる日もきっと来ます。
その日が一日でも早く来ることを祈っています。



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