温もり。

海外にボランティアに行っていた時、行って1週間ぐらいにものすご~くホームシックになってしまいました。

ホームステイ先で隠しきれずに鬱々としたまま新年を迎えた朝、起きてきた私を一緒に住んでいたおばあちゃんが、「新年おめでとう」と抱きしめてくれました。
そういえば抱きしめられたのはいつぶりだろう、と思い、すぐにジワジワ体の表面からなのか、内側からなのか熱くなって、おいおい泣いてしまいました。
寂しくて固まっていた気持ちが溶けていくようでした。

日本人は家族でもあまり抱き合ったりしませんね。
子どものときは抱きしめても、思春期くらいになるとあまりしなくなります。母親に最後に抱きしめてもらったのはいつだったでしょうか?

代わりに覚えているのは、中学の頃、こたつに寝っ転がってテレビを見ている時、横座りで座っている母親の足のかかとを触っていました。「固いね~」と角質を触りながら。
不器用な子供で甘え方が上手くなかったのですが、そうやってお母さんに触れていたかったのだと思います。母親もなんだかんだ言いながらも、足を引っこめることなく私のやりたいようにさせてくれていたので、私の気持ちは伝わっていたのかもしれません。

先日、せつない話を聞きました。
交通事故で亡くなった十代の少年がいました。その子は幼いころに両親が離婚し母親が家を出てしまい、近所に住む祖父母に育てられました。数年後父親は再婚し、祖父母は養育を夫婦に託そうとしましたが、しばらくは夫婦二人で、と言われかないませんでした。数年後再度頼んだ時には新しい母親は妊娠しており、かないませんでした。数年後再度言いに行った時には第2子がお腹におり、上の子だけで母親は精一杯でした。
やがて自分の生い立ちを知り、親子で暮らすきょうだいを見ながら、少年はずっと祖父母に育てられました。

少年はシンナーに手を出し、「自分は生まれてきちゃいけなかった。生まれてくる必要がなかった」と言っていました。
育ての祖母には常々不思議に思っていたことがありました。小学校に上がり自立させようと寝る部屋を別にしたころから少年には変な癖が出てきました。変なことをするなぁ、と思いつつも、聞いてヘソをまげられるのもなぁ、と聞いたことはなかったのですが、亡くなる数日前、ふと聞いたのだそうです。

いつものように朝6時に祖母が起床し、雨戸を開けていると、いつものように少年が部屋から飛び出してきて、祖母の寝ていた布団の抜け殻にもぐりこみ、布団をぎゅっと抱きしめるのです。そしてしばらくそのままでいて、むくりと起きて部屋に戻っていきます。
「あんた変なことをするねぇ」と言ったところ、少年は「これくらい好きにさせてくれよ。これくらいしか俺には温もりを感じることができないんだから」と答えたそうです。

どれだけ“温もり”に飢えていたのでしょうか。繰り返し行われていたというその行動を思うと、胸がいたくていたくて、涙ばかりが出てきます。
そして彼はそのぬくもり以外に知ることはなく亡くなってしまいました。
誰かから温もりをもらえること、与えることが自然なことになっている人は幸せです。
欲しくても叶わない、欲しくても言いだせない、与えたくても躊躇してしまうという人も多いのではないでしょうか。

子どもは愛されている実感がないと自分自身のことも愛せません。温もりには、自分に向けられる温かい心や、ここにいていいんだよ、という安心感が詰まっています。父親、母親からの温もりならば、どれだけ子どもの心の核に力を与えることでしょう。

お子さんや周りの大事な人を思い浮かべて、最近抱きしめてないなぁ、と思ったら抱きしめてあげてください。
拒否られるかもしれないし、なにか悪さをしたのかと疑われるかも知れませんが(笑)、じんわりと伝わるその温かさは心が必要としているものです。
少年のように辛い思いをしている子どもが一人でも少なくなるよう願います。

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